「天保老人」という言葉があったらしい/Sinnerをよく聴いています
来年には新しい元号がやってきます。
天保老人・天保翁
つまり「昭和」が更に遠くなるわけですが、同時に「平成」もまた過去のものになるというわけです。
いまいち実感が湧きませんが、以前から繰り返されてきたことですからね。
たとえば、「明治生まれ」という言葉には頑固で昔気質な人間というニュアンスがありますが、ではその人たちが若者であった明治時代はどうだったかというと、天保(1830~1844)生まれの人を「天保翁」とか「天保老人」と揶揄していた……と本で読んで知りました。
何のことはない、彼らもかつては年寄りを古い存在だと茶化していたのですね。まあ散切り頭をぽかぽか叩いて牛鍋食ってた時代ですしね。
ちなみに本はこちら。基本的には伊藤博文がどうした山県有朋が何したみたいな話がメインですが(明治天皇が政治に存在感を持っていたことが分かる)、他にも明治人の一日を再現してみたりと色々な趣向が凝らされています。通史の中の一冊ですが、述べて作らず的な事実の羅列ではなく書かれている方の見解が結構反映されているようにも。
「平成」もいつかは
時代は変わり、現代は過去になり、新しいものは古びる。
つまり、いつか「平成」も古い時代を象徴する言葉になる。スマートフォンも各種SNSもソシャゲも、自家用車やビールやボウリングやゲームセンターやパソコンのように「離れ」てしまう対象になる。そういうことなのでしょうね。
決して悪いことばかりではないと思います。特定の文化が延々と幅を利かせていていいってことはないですからね。それは新しいものが生まれていないということで、すなわち退嬰の第一歩なのですから。
ところでSinnerを最近よく聴いている
とかなんとか言いつつ、聴いてる音楽は流行りとか現代性とかとは一切関係ないものが多かったりします。
今聴いてるのは11月に来日するSinnerが2011年に出したアルバム「One Bullet Left」。
結成が1980年ということなのでもうそろそろ40周年なんですね。
PVになったこれとか、実にレトロなハードロックです。こういう音楽お好きな人なら、「Thin Lizzy的」といえば一発で分かるでしょう。
ギターのハーモニーといい派手なソロといい、メンバーの長い髪の毛といい楽器といいもう何もかもが昔ながらな感じですが、そもそも今やもう音楽性云々どころかロックバンド自体が時代遅れになってるんでしたっけね。
まあでもだからどうしたって感じですけども。音楽を聴くときは流行り廃りも昭和も平成もありゃしないのです。
自分と音楽だけ。時代というものに追われるような覆い被さられるような毎日を送っていると、それがとても贅沢な時間だということが分かります。
去年発売の最新アルバム「Tequila Suicide」も素晴らしい出来です。アルバム全体で言うと「One Bullet Left」より好きかも。
BGM: Back On Trail / Sinner