加齢と記憶についてお勉強した(ほんの少しだけ)
録画していたNHKのらららクラシックを視聴したり。実は割とちょいちょい観ていたりします。
「皇帝陛下にお仕えする作曲家モーツァルト」
今回はモーツァルトの交響曲41番。いわゆるジュピターですね。
この前関ジャムでやってたクラシック特集のようなひな壇からの賑やかしもなく生真面目というかお堅いつくりの番組ですが、ゲストに佐藤天彦を呼んでみたり、モーツァルトが皇帝に仕え固定給を得られるようになって大変喜んだことに触れてみたり、無理のない範囲で親しみやすくしようと試みているのが伝わってくる内容。時々気恥ずかしくなるような演出もありますし、民放のものよりもうんちく大目だったりもしますが、それもひっくるめてこの番組の味かなと。
ということをEvernoteに書き殴ったメモを眺めながら書いたわけですが(観たこと自体は昨日)、早くもちょいちょい忘れているネタが。いやまあそのためにメモを取っているわけですが、十代の頃は見聞きしたことそれなりに忘れずにいたはずなので(ただし忘れ物はその頃から極めて多かった)、集中力か記憶力かいずれかが低下気味なのだろうなあ……。
加齢で駄目になるのではない
みたいな話の裏付けがさくっとないかいなと検索していたら、
むしろまったく逆の話が出てきました。ややっほんまかいな。
記事によると、若い頃のように頭に入りにくいのは、
>学生の頃のように意欲を持って復習にあたらなくなることも原因の1つかも知れません。
>意欲が低下しがちになるのは50代半ばあたりからだと言われています。その要因は、前頭葉の老化と、男性ホルモンの分泌量の減少の2つ。
>感情のコントロール、創造性、怒りや不安の処理をつかさどるとされる前頭葉が老化によって委縮する
だそうで。むむ……そもそも50代半ばになってから出直してこいみたいな感じですね……。
考えてみれば現時点では「お。思ってたよりできたじゃないか」みたいな場面が多く、尼野ゆたかの分際で元気いっぱいだなと思うほどですしねえ。
若い頃は見聞きしたら割と覚えていたというのはというのは所詮記憶の美化でしかなく、単に何度も反復していただけなのかもしれません。尼野ゆたかはどこまでいっても尼野ゆたかでしかなかった……。
日々の生活にスパイスを
ちなみにその意欲の低下とやら回避するのはどうすればいいのか、ということについても書かれているので読んでみました。今50代半ばじゃなくとも、明日いきなり死んだりしない限りいつかは50代半ばになるわけで。
創造性がなくなるというのも怖いですね。どこからどうみても役立たずな尼野ゆたかが仕上がってしまいます。イヤアア。
回避の具体的な方法としては、
>日々に少しでも「想定外」の出来事が起こるようにすること。株式投資を始める、イベントに参加するなど、何でも良いので
みたいなのが良いという話でした。唐突に差し込まれる投機のお誘いにある種の胡散臭さを感じるものの、まあ新しい「もの」「こと」を生活に取り入れるのがよいということなのですね。多分何か新しいガジェットを暮らしに導入するとか、新しい漫画なり小説なりを読み始めるとかでも十分ありなのでしょう。む? 新しい小説?
だったらこれはどうでしょう。唐突に差し込まれる小説の宣伝。しかし自著なので胡散臭くはない。よかったら読んでみてくださーい。
BGM: You Burn In Me / Riot