手書き年賀状に自分の悪筆を思う
今日は年賀状を出してきました。明日からは10円切手を余分に貼るという額面以上の大変さがある手続きを踏まねばならないので、ならば今日の内にということで。
手書きに対するちょっとした悩み
頂くこと、出すことはまったくよろしいのですが、自分の字を見ることにはどうにも苦痛を伴います。下手な字、丸字、くせ字、金釘流などなど色々表現はありますが、自分の字はそのいずれでもなく、ひたすら「幼稚な字」なんですよね……。
小学校の頃の漢字マスターノートみたいな感じです。サイズも位置もバラバラ。親は習字に行かせてくれたりして、自分としてもそこで頑張ったつもりだったのですが、あんまり直りませんでした。申し訳ない……。
なのでかつてはすべて印刷していたのですが、そうすると今度はどうしても大量生産感が否めなくなってしまうんですよね。イオンとかが誕生月に送ってくる案内みたいな。
なのでやはり一言書き添えるようにしたのですが……うーむ……せめて宛名くらいは印刷すりゃよかったかな……。
文字が下手な人はいっぱいいるのだけれど
偉大な人々で字が下手な人は多いと言います。たとえば司馬遼太郎は作中*1で「字の上手い下手なんか手本を真似る物真似の能力だ」みたいなことを言わせていて、実際残っている彼の自筆を見ると上手とは言い難いですし、南方熊楠は雑すぎて自分の取ったメモが自分で読めずに困ったとか日記の解読が今でも行われているとか言います。ベートーヴェンじゃないんだから*2。
大江健三郎の字は忍者屋敷で書いたみたいに一貫して傾いていますし、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の自筆原稿は、頭の中から文章が溢れ出てくるのでちいちいち丁寧にしてなんかおれんみたいな感じの殴り書きです。川端康成の字も検索して見てみると一つ一つのパーツのバランスが極めてまちまちですね。
エライ人たちでもそれなのですから、尼野ゆたかなどが気にすることは本来全然ないのですが、文字の上手い下手と人格や知性その他を結びつけるという非科学的な価値観はいまだ根強いですし、そもそも科学以前にぱっと見で受ける印象みたいなものはどうにも覆せません。練習した方がいいのか……。
とここまで書いたところで面白い記事を見つけました。
すっかりテレビの常連になった林修先生がしたという『本当に頭がいい子ほど字が汚い』なる話に始まり、様々な考察が読みやすくまとめられています。
もちろんこれは、尼野ゆたかが実は頭が良いのだハッハーとか正当化して現実から目を背けるのではなくてですね。「何を書き描いているかという中身よりも、見た目が綺麗で大人の目を引き感心させられるかどうかが、まず子どもたちの関心や動機になりがちだった」というくだりなど、なるほどと唸らされる部分が大変あったということです。海外と国内を比較するという最近のネットで反射的に嫌われがちな論立てもありますが、読むべきところは多々あると思います。
ただ書道に関しては、漢字が表意文字で一つ一つ意味がある、極めてデザイン的なものであるが故に成立したものでもあるので(本家本元中国でも「書」は重要かつ歴史のある文化です)、日本文化の性質のみに収斂しているように読めてしまうのはちょっと乱暴かな。本筋とは関係ないところですが。
いずれにせよ、なるほどなと感じました。(文字の芸術性を追求するでもなく、ただ人目を気にして)手書き文字を多少改善したところで、たかが知れてるんですよね。それよりも先に、時間を割いて取り組まないといけないことがあるよなあ。
BGM: Around The World And Back / Theocracy
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18:41 あしたはせいじんのひ https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%A4-%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-50-%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E6%98%9F%E4%BA%BA/dp/B003LAFC6S/ref=sr_1_cc_1?s=aps&ie=UTF8&qid=1515318043&sr=1-1-catcorr&keywords=%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%B3%E6%98%9F%E4%BA%BA
だから星人ではなく成人の日だと毎年毎年言ってるでしょう!
……って、レ、レギュラン星人? だ……だれだ……(調べる)。そうか……ティガとダイナか……平成ウルトラマンには弱いことを露呈してしまった……。