お茶零した。

作家・尼野ゆたかの日記です

今年一年を振り返って反省/アマデウスをまた観たいのだけど

今年一年を振り返って、色々と反省しております。

 

 

早すぎやろ! 二週間も経ってへんがな! どんなけの密度で失敗しとんねん!

 

すべてを告白して楽になりたい思いもありますが、ブログ読みに来て下さる人を教会の神父様みたいに扱うのもどないやねんという感じなので、ここはぐっと堪えます。

 

その代わりに今年一年なにをしていたかという話でもしようかと思うのですが、まあ普通に原稿をしておりました。

割と調子が良くアイデアはぽんぽん湧いてきますし、やりたいこととやるべきことの間に橋を架けるような霊感が訪れることも。


そういう場合、尼野ゆたかは異様なテンションになりまして。たとえるなら映画「アマデウス」のモーツァルトをおかしくしたような感じでしょうか。完全アカンやんそれ……アマデウスの時点で既に「ヒハハッ」みたいなヤバイ感じなのに……。

 

そういうわけで、その状態で小説を書くこと以外のことをすると、早とちりや言葉足らずが頻発して妙な具合になってしまうわけですね。書いている間は人里離れたところにいた方が、自分よし他人よし原稿よしの三方よしかもしれません……。



 

 

観たときは感動したのですが割とうろ覚えなので、また時間を作って観たいものです。才能というものの残酷さに打ちのめされたことがありゃあこの映画の価値は分かるはず。かもしれない。のではないかなあ。

 

今でもはっきりと思い浮かぶのはやはりレクイエムの作曲シーン、コンフターティスのパートをサリエリが筆写するあの場面ですね。

残り僅かな命数を燃やし尽くすかの如く旋律を織り上げるモーツァルト、必死で追いつこうとして追いつけないサリエリ。このもどかしさと緊張感。閃きというのはしばしばこちらを駆り立てて休ませないのですが、あの衝動的な何かを見事に画面に写し取っているように感じます。

 

やがて音楽が像を結ぶにつれサリエリがその真価を理解していく流れも素晴らしい。全てのわだかまりを越え「It's wonderful !」と賞賛する、してしまうサリエリ。それができるだけの才はあるんだよなあ。

 

そして楽譜が書き上がったところで、それまでパート別に鳴らされた音楽が一つにまとまって演奏され、観る者を圧倒するわけです。

 

初回限定のみ? で吹き替え版もあるようですが、やはりここは字幕で。息詰まりますよ。

BGM: Mozart: Requiem K. 626 - Confutatis maledictis / Karl Böhm - Wiener Philharmoniker