絶対にいつでも自分が正しい、とは限らない
自分にもエゴはありますし、こうしたいというこだわりはあります。そのこだわりはエネルギーともなるので、まあ一応大事にすべきものではありましょう。
「完全に中立で客観的」というのはすなわち何も意見がないというのと変わらないので、何か考えを持ち方向性を明確に持たねばならないわけで。
ただ、他にもやり方があったとか、実は間違いが含まれていたとか、そうなった時にどうするかなんですよね。絶対自分が正しい、無謬である、という風になってしまうと、それを正当化するためにほかのすべてをねじ曲げることになり、最終的に様々に不都合なことになってしまいます。それは避けなくちゃいけない。
「過ちて改めざる、是を過ちという」
「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」
すなわちこういうことです。いずれも論語屈指のパンチラインであり、あまりに端的に真理を突いているので特になにも付け足す必要がありません。
ってなわけで、長編原稿のセルフ総見直しに取りかかっておるわけです。オゴゴ……しんどい。間に合うのか。絶対的な間違いはあっても完璧な正解はないので、改め方は手探りなんですよね……。