お茶零した。

作家・尼野ゆたかの日記です

先の地震で考えたことその1 ~デマを実際に見て考えたこと~

さて。時折襲い来る余震を感じながら(当たり前ですが阪神の時よりは小さいですね)、色々考えております。ちょいちょいまとめていますが、まず気になったのがこれ。
 
 
 

 

 
以前流れた誤情報に類似したものや明確に悪意を持って流布されたものまで、今回の地震に伴いインターネットを駆け巡った様々なデマが検証されています。
記事で検証されているのはあくまで一部であり、そのことからもデマとインターネットがいかに相性がいいかということが分かります。
 
 

不安に駆られた心が求めるもの ~デマに引き寄せられる心理~

「なんか体の調子悪いな……」「ここが痛いな……」という時。ネットで症状を調べて「大したことがありません」という記事が出てきてもいまいち納得できず、何か病気だという可能性が見つかるまで検索してしまうこと、ありますよね。不安に分かりやすい形を与えないと、人間は中々納得できないのです。
 
この心理は、災害等で不安にかられた場合などにも生まれます。「落ち着いてください」「軽率な行動は慎んで下さい」とどれだけ呼びかけられても、不安や恐怖を喚起する情報の奔流に、自分から引き寄せられてしまいがちなのです。
我々は、心のどこかでデマを欲しがっています。そして、インターネットはその欲求にしっかり応えてくれるのです。
 
これに拍車を掛けるのが、似た情報が紐づけられて提示される仕組みです。普段は便利な「おすすめ」が、ともすれば視野を狭め判断力を鈍らせることに繋がってしまいます。
自分では賢く情報を見極めているつもりでも、知らず知らず同じ所をぐるぐると回り続け、生まれた不安をどんどん強化してしまうのです。
 
 
 

情報を取捨選択する大切さ ~あなたの正気は誰が保証してくれますか~

その陥穽を避けるには、どうすればいいでしょうか。
ありきたりな話になりますが、自分としては「既存のメディアを含め情報源を幅広く持つ」のが正解に一番近いかなと考えます。
 
インターネット含めて、各々のメディアにはそれぞれ問題がありましょう。しかし、だからといって安直にダメだと遠ざけてしまうのではなく、自分でしっかりそれぞれに触れ吟味した上で判断していきましょうということです。
実に面倒な作業で、いきなりやろうと思ってできることではありません。こうして話している自分自身、できるかどうかは大変怪しいものです。
 
しかし、いやだからこそ、取り組むべきだと思います。
大袈裟な言いようですが、情報の価値を判別し判断力を高めようとする努力そのものが、現代を生きる我々には必要とされているからです。それを怠れば、リテラシーというものは際限なく低下してしまいます。
 
特定の情報源だけを信じた挙げ句暴走し問題を起こしている人々が、現代社会のあちこちで見られます。
彼ら彼女らが繰り広げ盲信ぶりや混乱ぶりを指さして笑ったり、自分は騙されないと無視を決め込んだりするのは簡単です。
しかし、いつか自分がそうならないという確証が、どこにありましょうか?
すでに自分がそうなっていないという保証が、どこにありましょうか?
 
 

デマを目撃した経験 ~デマは心に響く~

普段ヘヴィメタルと天気の話くらいしかしてないような自分がなぜわざわざこういう記事を書いたのかといいますと、今回の地震発生直後実際にデマを見て、強い危機感をおぼえたからでした。
 
 
地震が起こった直後、揺れ(自分の住んでいるところでは震度5はあったようです)が収まってからLINEで家族の安否を確認したところ、下の妹(妹が二人います)だけ連絡がとれませんでした。
 
仕事(幼稚園の先生)の早番で職場に行ったということなので、簡単に連絡していられない状況であろうことは分かりましたが、それにしても反応が遅く、他の家族達とやきもきすることに。
どうにも心配で、何か起こっていないかとTwitterを検索していたところ、妹の勤務地周辺で火事が起こっているという旨のツイートを発見しました。
特定の個人を批判することが目的ではないのでぼかしますが、普段の発言内容や地震直後の反応からしても人を騙すことを狙った呟きではなさそうであり、ある種の真実味をその時感じました。
 
この時の衝撃は今でも思い出せます。既に、妹は子供を預かり始めている時間帯です。もし火災に巻き込まれていたとしたら。
……衝撃そのものは思い出せますが、言葉にはできません。自分の語彙ではまだ、あの時の気持ちを言い表すことは叶いません。とにかく恐ろしかった。
 
更に検索すれば、次から次へと各地で起こっている被害の様子が滝のように押し寄せてきました。慣れ親しんだ街並み、見覚えのある土地が大変な事態に見舞われていました。大量の被害情報は紐づけられ、効率良く次々と自分の眼前に広がっていきました。不安は、いや増すばかりでした。
 
しかしどうにか正気に返った自分は、まず同様の呟きが他に存在しないこと、自治体のアカウントでも注意喚起等がないことを確認。TVニュースで「下の妹の職場近辺で火事があった」という報道がなされていないこと、TV局のヘリで火災の様子が撮影されていないこと(さほど震源には近くありませんが、ヘリならすぐ到着する距離です)などと合わせて、事実かどうか大変疑わしいと結論づけました。
 
しかし、頭では理解できても気持ちは中々落ち着きません。居心地の悪い時間がすぎましたが、しばらくして下の妹からLINEが来ました。子供達は無事避難させ、先生が余っている状態なので園に戻りあれこれしていて、連絡する暇がなかったとのこと。本当にほっとしました。
 
火事などは一切ないとのことで、件の呟きはデマであることが確定しました。
ちなみに、下の妹にこういう話をネットで見たと伝えてみると、「多数の消防車が走っていたので(おそらく火災現場に救援として派遣されていたのでしょう)、それを勘違いしたのではないか」と言っておりました。なるほど、納得いく話です。
 
 

経験から得た感想 ~今後に生かすためには~

常日頃、デマとはどこからどのようにして生まれるのか興味を持っておりましたが、遂にその火種を目の当たりにしました。
 
自分がデマの落とし穴に落ちなかったのは、ひとえにその情報が「孤立」していたからでした。他に火事を訴えているアカウントはなく、またそれを伝える報道もありませんでした。見るからにデマだったから、見分けられただけのことでした。
実際、不安にかられた心にそのデマはとても響きました。妹の連絡がないという状況に、唯一の説明を与えてくれたのがそのデマでしたから。
 
こういう事態はきっと、ネットの各所で無数の泡のように生まれていたのでしょう。その中でとりわけ膨れあがったものが、冒頭の記事に取り上げられているようなものへと姿を変えたのだと思われます。
 
 
そのアカウントを改めて見ると、デマが広まらなかった故に非難されることもなく、ツイートした人は自分が何をしたのかという自覚も持たず呑気に暮らしています。
正直なところ腹立たしくありますが(そのアカウントは訂正さえしていません)、ええ加減なことぬかしとったらあかんぞアホンダラと怒鳴りつけるより、実地で得たデマについての所見をまとめた方がなんぼかマシかと思い直し、覚え書きも兼ねてまとめてみた次第です。
 
 
引き続き大きな地震がある可能性が言われています。たとえそれがなかったとしても、南海トラフが我々の未来に確率80%の黒い影を落としています。
いつかくるかもしれないその時、同じようにぎりぎりのところで冷静さを保てるか。そのためにも、常日頃から勉強を怠らないようにしたいところです。
BGM: Kingdom Of The Blind / Almanac